yellow chrysanthemum

日々のひとり語りをつらつらと.

ほんとうに空を飛んでった君へ

 

先日、ずっと応援してきただいすきなアイドルの子が、退所をした。

 

 

 

 

おもえば彼を見つけたのは、わたしが高校3年生だった頃。ジャニーズにすら興味がなかった当時、偶然、ほんとうにたまたま観たドラマに金髪の高校生の彼が居て、特に演技が上手かったわけでもなかったけど(盛大なる悪口だな)わたし的にはすごく光るものを感じて「この子だれなんだろう?」一瞬にして引き込まれた。

 

そこからは新しい戦闘系ゲームを買って、どんどんアイテムを集めてレベル上げて進めていくように、彼のことをたくさん知っていった。憧れは嵐の松本潤くんだとか、夏生まれなんだとか、じつはラノベがすきなオタク気質のある子で、アイスが好きなんだとか、とってもダンスの上手いユニットに所属しているんだとか。ほんとにいろいろ。

 

そんなこんなで初めて彼を見に足を運んだのは彼を見つけてから約1年後の春の、EX THEATER Roppongiで開催されたJ's partyでした。

 

これ以降に行った現場のことを考えると、座席(オールスタンディングなので席はないですね)も全然良い位置じゃないし、双眼鏡もたくさん使うような状況だったんだけど、この時のコンサートはやっぱりずっとずっと特別。初めて見た彼はほんとうにテレビで見る何倍もキラキラしてて、当時なかなかテレビではマイクやソロパートを持たせてもらえていなかったから、1人でスタンドマイク持って赤西仁くんのcareを歌う姿をみたとき、とってもとってもうれしかったんだあ。これも音程安定してなかったけど(また悪口)いまだに脳内に彼の歌声が残ってる。そして何より、「この人は1人で戦えるくらいのオーラがある、絶対こんな小さな箱に収まらないスターになってほしい」と強くおもった、というより、それくらいの器になる少年だとおもわざるをえなかった。

 

この頃のわたしは、まだそんなに力を入れてファンをしていたわけではなかったけれど、このコンサートに行って、たくさん元気をもらえたから、もっともっと頑張る彼を、いろんなコンサートで見に行きたいなあと強く感じたものです。

 

そこからはほんとうにいろんなことがあったしいろんなコンサートや舞台に行ったなあ。

ローラースケートで熱い青春を見せてくれた夏のガムシャラ、発表された瞬間ショックで泣いた()マッチこと近藤雅彦さんのバック仕事(なんやかんやでたのしかった)、モンキーガイズ結成で念願のプレゾンコールができた滝翼コンのバック仕事(おもえば滝翼にとってはこれが最後のコンサートだったのか…)、とらびす9人の最初で最後のシアタークリエ、幕が閉じる瞬間に肩を強く抱き合ったふたりに泣かされたとらびす最後の夏、ドリームボーイズ、Crazy about youだけのためにほぼ全ステしたえびコンバック(チケットを家に忘れて京橋爆走したのもいいおもいでだ)、冬帝劇、祭、完全にらぶに移籍してからのはじめてのクリエ……

どれもどれもいろいろな気持ちにさせられた、だけどいつも全力だった、たのしかった。

 

 

 

彼はよく、容姿や顔を高く評価される。わたしも彼の綺麗な顔がとてもすきだった。

でも、それよりももっともっとすきだったのが彼の考え方とか発する言葉とか、いつだってやさしくも強い性格だった。

 

おもいかえせば彼はいつも、他のJr.の子、いまのキンプリの子たちですら口にできなかったようなとっても大きな夢を、濁さず、恥じることなく、ハッキリとわたしたちに伝えていてくれた。

わたしは彼のそんな怖気付かないところがいちばん、すきだったのかもしれない。

 

そしてその夢をどんどん形にして見せていってくれたね。

 

2017年の初ミュージカル。ぶっちゃけはじめに聞いた時は喜びの次くらいに「大丈夫かな?」って心配になったけど、幕が開いて、当日、ほんとうに感動して涙が止まらないくらいすごくて、力いっぱい13歳の男の子を演じていて、まるで別人のようだった。劇中の彼の役の子もまた「空を飛ぶんだ」と、人からバカにされるような大きな夢を言い続けて、最後にはその夢を叶えていましたね。わたしはあのミュージカルにたくさんたくさん救われた。現実の彼にもいつか、絶対に夢を叶えて欲しいと心から願った。

 

それから、10代のうちに叶えられた映画の銀幕デビューに、初主演舞台。

きみの努力が、実力となり その実力が綺麗な花をどんどん咲かせていったんだよね。

 

ここからはわたしの推測だけど、きっとこの頃から、いやもっと前かな、わからないけど大きな葛藤と戦ってたんだとおもう。いつの日か何かの雑誌で、「夜眠れない日が続いたことがあった」と見た。

彼は多くの人の見える場で、弱音を一切吐かない子だったから、それは「夜眠れない日が続いてたけど、母と一緒にいい枕(オーダーメイドとかそんな感じだったかな?)を買いに行って、枕を変えてからよく眠れるようになった」という近況報告に過ぎない内容だったのだけれど、わたしはやっぱり、夜眠れなかったんだってことで頭がいっぱいになった。

 

そしてずっと同じ位置で頑張ってきた、同期のデビュー発表があったね。

その日から1週間、出演舞台を休んでいると聞いて、ただのインフルだって言ってたけどわたしははじめて彼の弱さを見たような気がした。

 

 

そして、冬から春に変わる時期のジュニア祭り。この頃からいろいろな噂があったけれど、わたしはこれがまさか彼の最後の舞台だなんてこれっぽっちもおもいたくなかったよ。

 

彼がLove-tuneに移籍してからは、割とファンを休憩していたので、約半年ぶりに彼に会いに行ったのがこのジュニア祭りだった。真っ赤な髪の毛で登場して、どこか、2015年のPZ前にド金髪にした時のことと重なったなあ。(結局骨折して出演できなかったけどね...)

 

きっとこの頃もいろんなことと闘っていた、しもしかしたら不安で押しつぶされそうになってもおかしくない状況にいたのかもしれない。

なのに、なのにわたしは「就活を応援してほしい」と書いたうちわを出してしまったんだ。

もう、他人なんかにエールを送る気力すらなかったのかもしれないのに。

 

だけどね、トロッコに乗って移動している彼は、そんなわたしの文字をすこし離れた距離で見つけてくれて、そして今まで自分に対するファンサービスで1度も見たことのなかったような優しい顔で(またナチュラルに悪口)、「がんばれっ!」と、力強く、そう言ってくれました。

 

もういいよ、とこちらがどんな顔したらいいかわからないくらいにそのあとも数秒間こっちを見てくれて、わたしはあのコンサート中での数秒間でも、自分にだけ与えられた時間がとても、大事で貴重で宝物になったんだなってすごく嬉しく思う。

 

その後の就活で上手くいかないこともあったけど、このことを思い出す度に、世界でいちばんだいすきな人が応援してくれたんだから頑張ろうって、励みになったんだよね。

 

こんなに誰かの生活に花を咲かせてくれる、元気を与えてくれるって彼はアイドルになるために生まれてきたんだろうなって思ったくらいだった。

 

 

 

 

そして2018年11月30日、もういままでのようにアイドルとしての彼を、ファンとして応援することができなくなってしまった。

もしかしたらもう姿を見ることすらもできないのかもしれない。

 

 

ジャニーズJr.というのは基本的に退所をしても正式な発表がされない分際であり、その不安定さ故にいつだれが去ってもおかしくないという世界で、ジャニーズJr.のファンはみな一度は自分の好きな子の退所を想像することがあるとおもう。

 

わたしはもしだいすきな彼が退所を決めたらそのとき、どうなるんだろう? と以前考えたことがある。

なにも食べられなくなるのかな?涙が止まらなくなるのかな?寝込んでしまうのかな?

実際"そのとき"をまのあたりにしたものの、わたしはそのどれにも当てはまらなかった。

そんな1つの感情や、行動で済まされるものじゃなかったんだ。

 

いまだにこれが現実なのか、の区別もつかないまま、ただ悲しみとか悔しさ、怒りの気持ちがぐるぐるまわっている。

 

 

普通の男の子みたいに修学旅行も学校もまともに行けない、部活動もできない、堂々と恋愛もできない(彼の場合はスキャンダルもありましたが 笑)そんな一般的な少年時代の青春がぽっかりなかった彼。

 

そしてわたしがそんな彼がこの事務所を退所すると聞いていちばん悔しくて悲しくて辛いのが、そんな少年が抱えた夢を、その夢のために我慢をしてきたことや並み大抵ならぬ努力をしてきたこと、"8年間"という長い時間をただその夢を叶える一心で駆け抜けてきたこと、そのすべてが砂の如くさらさらとこぼれ落ちてしまったことだ。

 

 

行きたいコンサートには行った

ファンレターに書きたいことは書いた

アンケートもたくさん書いた

ファンとして基本的に後悔はないけど、やっぱり彼の夢を叶える瞬間を見れなかったことだけがただただとても虚しい。

 

 

だけど、不思議と、ほんとにこれはただの勘でしかないのだけれど、

なんだかまたいつか、どこかで、彼がキラキラ輝いている姿を見ることができるような予感がして止まらないんだ。

これで終わる気が全くしていない。

 

だから、今はまだ悲観的にはならない。

だって、どんな時も自信満々で、やさしくてちょっと天然でふわふわしてると思いきやめちゃめちゃに強い信念持ってて、タフで、それで、いつだって大きな夢掲げてきた阿部顕嵐くんなんだもん。

 

 

これから彼がどんな道に進むのかは、もうファンの私はわからないけれど、きっと彼らしく、みんなが届かないような高くて凄くて頼もしいところに飛んでいっちゃうんだとおもう! 

 

そして彼はまたそのフィールドでこう言うだろう。

 

 

 

 

「自信しかないです」 ってね 。

 

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8年間、頑張ってくれてありがとう。

ひとまず、おつかれさま。

まだまだあなたの人生これからだ。

がんばれ!顕嵐くん!だーいすきっ!


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あのとき

 

あのときこうしていれば

あの行動を取っていれば

ああ言う風に返答をすれば

また違った未来がここにあったんじゃないかと

ぐるぐるぐるぐる考えても時間は戻せないし

やり直せない、意味のないようなことを

何度も何度も分析してしまうことが多いです。

 

 

だから、その失敗の数が多ければ多いほど

人間はまた同じ選択が来た時に次はちゃんと

正しい判断ができるから、経験とそれに伴う

失敗は多ければ多いほど良いことなんだと思う

 

 

物事がうまくいかないのは絶対に自分に原因があるから

裏を返せば自分の行動次第で回避できるから

後悔は忘れるんじゃなくて次に活かすべきだね

 

 

いつかいつか、わたしのことを必要としてくれる人が

わたしが居ないとどうしようもならないくらい必要としてくれる人が

そっと現れてくれて

そんな人をわたしも好きになって必要とすることが出来ればいいなあ

 

 

誰も自分を必要としてくれなかった人生だったけど

よく考えるとわたしも誰かを必要に感じたことなんて一度もなかった

一方通行じゃどうしようもないもんね

 

 

世界中の人たちみんな素敵な恋ができますように!

 

平成最後の夏

 

中高生の頃はまだ "ブログ" が盛んな時代だった。わたしも"ブログ"をしており、特にオチもない、その日起こった出来事をただつらつらと記していた。

 

いつからか、世間は200文字制限で思いを伝えるツールや、写真だけで日常を伝えるツールを好むようになった。それは忙しない日々を送る人々が、限られた時間の中で物事をなるべく端的に把握したいと思うようになったからだろうか?

 

これはわたしが就職活動を通して感じたことと少し似ている気がする。

就職活動で求められるのは、「いかに短くあなたという人物やその人生を語ることができるか」だ。 なにが要らないものでなにが大切なものなのかを見極めて、要らないものは切る。

その能力はきっと今後のキャリアにおいても人生においても大事なのだろう。

 

だけど、それを 「勿体無い」とも思ってしまう。

せっかく日本語という素晴らしい言語を持つ国に生まれて、同じ意味でも細かいニュアンスを変える表現があるのに、なんでシンプルな言葉で余計なものを搾取して自分という人物を端的にあらわさねばいけないのだろう?

「余計なもの」だってじつは余計じゃないかもしれない。すごく勿体無い。

 

時間がない、めんどくさい、はやく伝えなきゃ、短く伝えなきゃ、

こんな背景の中で、短い文章がかっこいいって思われる風潮が少なくともあるのではないかというようにも感じる。

だけどそんな世界の中で本当に全ての人が自分の感じたこと、おもったこと、見たこと、気付いたことすべてと向き合ってそれを誰かにアウトプットすることができているのだろうか?

 

わたしは自分ができていないと思ったしそんな現状がすごく嫌だとおもった。

もっと自分が見たものをちゃんと記録したいし1人でもいいから誰かに見てほしい。

だからブログを始めようと思います。

平成最後の夏に。

 

こんな真面目ったらしいスタートですが、記す内容は主に恋愛備忘録や美容記録、映画備忘録やときたまオタク活動について、といったところです。どうぞよろしくおねがいします。

 

P.S. なんだかわからないけど平成最後の夏って色気がある表現ですよね!(笑)

 

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